小さな幸せをあつめて。

幸せとは何か
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私たち家族にとって、毎日は新しい発見と小さなよろこびに満ちています。その中心には、私たちの1歳の娘がいます。

娘はダウン症を持って生まれてきました。ダウン症は多くの場合、知的障害を伴い、身体的な発達も周りより遅れることがほとんどです。それでも、娘が日々見せてくれる成長の一歩一歩が、私たちにとっては何よりも大きな幸せです。

小さな成長と、大きなよろこび。

最近、娘が新しいことを覚えました。それは、名前を呼ぶと、にっこり笑いながら「ハーイ」と右手を挙げてくれることです。この小さな動作が、表情が、私たち夫婦を、言葉にできないような温かな気持ちにさせてくれます。

娘の名前は、私と妻が想いを込めて考えたものです。その名前で笑顔になる娘を見ていると、まだまったく話せない娘が、「この名前を気に入っているよ」「ありがとう」と伝えてくれていような気がするのです。

ダウン症の子どもは、発達の速度が他の子供より遅いことが多いですが、それでも、娘は少しずつ、確実に成長しています。初めておもちゃを掴んだとき、初めて自分で座ったとき、そして今回のように名前を呼ばれて応えることができたとき、私たちはその瞬間を本当に特別な瞬間のように感じることができます。

笑顔がもたらすもの

多くのダウン症児がそうであると聞きますが、娘もまた、笑顔の絶えない子供です。話しかけると、いつもにっこり笑、手をぱちぱちと叩いてうれしそうに応えてくれます。こうした笑顔は私たち加速に限りません。出会うさまざまな人に、同じようにできるのが、娘の美徳であると心から感じます。

娘はいつも笑顔なので、街なかでも多くの人が話しかけてくれます。そんな人たちの声に、娘はまた笑顔で応えます。すると、話しかけてくれた人もまた笑顔になるのです。

ダウン症は多くの人に比べて、できないことが少なくありません。でも、こうした瞬間を見ると、娘が(仮に一瞬だとしても)、誰かを幸せな気持ちにしたことに対して、親としてとても誇らしい気持ちになるのです。

笑えるということは幸せである

笑顔の多い人は、幸せの多い人だと思います。娘の笑顔を見るたびに、彼女がきっと幸せな人生を送るだろうと私は確信できます。もちろん、これからも多くの困難や挑戦が待っているでしょう。それでも、娘は持ち前の笑顔できっと困難を乗り越えることができるのはないか、そんな気持ちにさせてくれます。

「笑う門には福来(きた)る」という言葉があります。誰しも、笑っている瞬間は幸せな気持ちが湧き上がっているものです。幸せだから笑顔になり、その笑顔がまた次の幸せを呼び込む、確かに、人生とはそのようにできているようです。

そして、逆もまた然りなのです。だからこそ、私は確信しています。娘は必ず幸せな人生を送るであろうと。

きっと、幸せになる。

娘がダウン症児の可能性があることは、彼女が生まれてから初めて医師に聞かされました。私たち夫婦は、これからどうすばよいのかと非常に動揺しました(この話はまた別の機会に)。でも、それから1年余り、当初の不安はもうありません。

私たちは、娘の成長を見守りながら、未来への希望を抱いています。彼女がこれからどんな新しいことを学び、どんな喜びを私たちにもたらしてくれるのか、本当に楽しみでならないのです。そして、娘と家族が共に歩む道のりが、幸せに満ちたものになるよう、私も人生をかけて全力を尽くしていくつもりです。

これからも、娘の成長を見守りながら、日々の小さな幸せを大切にしていきたいと思います。

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