幸せのカルテでは、過去にメールや質問箱でいただいたご相談事例をご紹介していきます(個人を特定できないよう、一部を改変して紹介いたします)。
今回は、26歳、R.Iさんから寄せられたお悩み「過去の過ちのせいで幸せになれないのでは」です。
今も心に残る友人の泣き顔。
はじめまして。私は26歳の女性です。大学時代に親友だった友人との出来事が、今でも私の心に深い影響を与えています。どうかお話を聞いていただければ幸いです。
私たちが大学2年生のとき、親友に人生初めての彼氏ができ、私も彼女の幸せを心から喜びました。彼女は彼を私にも紹介してくれ、3人でご飯を食べるなど、楽しい時間を過ごしていました。
しかしあるとき、些細なことから彼が友人が喧嘩をしてしまい、彼がどうすればよいかと私に相談を持ちかけてきました。しかし、その相談の場でお酒を飲んでいたこともあり、私自身の理性が欠如してしまい、彼と一夜を共にしてしまいました。後日、そのことが友人に知られ、彼女から「信じられない」「最低だ」「顔も見たくない」と泣きながら罵られ、その場で絶交されてしまいました。
友人のことが本当に大切だった私にとって、彼女を裏切り、傷つけ、悲しませてしまったことで、深い後悔と罪悪感が生まれました。それ以降、もちろん彼とは一切連絡を取らず、友人とも一切関わることはできていません。しばらく経ってから決心して連絡を取ろうとしたこともありましたが、LINEやSNS等もすべてブロックされており、連絡を取ることはできませんでした。大学で彼女の姿を見かけたときも、声を掛けるどころか、怖くて彼女を避けてしまう自分がいて、そのことも大きな自己嫌悪につながっていました。
今では大学を卒業して数年が経ち、職場に新しい友人ができたり、恋人ができたりすることもありました。しかし、ふとした瞬間にその友人のこと、あの日私を大声で罵ったときの泣き顔を、思い出してしまいます。これまでの人生で、あそこまで人を傷つけ、悲しませた経験は他になく、そのことが私自身の心にも深い傷となっています。「大切な人をあんなにも傷つけてしまった私が幸せになっていいのだろうか」と自問自答してしまいます。
本当に大切に思っていた人を傷つけた私に幸せになる資格があるのか、そしてどうすればこの罪悪感と向き合い、前に進めるのか今も答えが出せていません。友人への謝罪の気持ちは今でも強くありますが、連絡する手段もなく、どうすればよいか分かりません。
どうかアドバイスをいただければと思います。よろしくお願いいたします。
人間は、自分の過ちを顧みることのできる唯一の存在。
お話ししていただき、ありがとうございます。心の奥深くにある罪悪感と後悔について語るのはとても勇気のいることだったと思います。
過去の過ちによって自分を責め続けてしまうことは、しばしば起こり得ることです。なぜなら、人間は自分が他者に与えた影響や、犯してしまった過ちについて考え、後悔することができる唯一の存在だからです。
「メタ認知」や「自己反省」と呼ばれるこうした能力は、他人への共感や道徳的な責任感を反映しており、とても人間らしいものです。
しかし一方で、過度な自己責任感や自分を許せない感情が、苦しみを長引かせる原因にもなります。
大学時代の出来事が、あなたにとってどれほど重いものだったのか、そのお話から強く伝わってきました。その経験は、あなたが友人をどれほど大切に思っていたかを示していると同時に、自分自身を責め続けてきた苦しみの深さもよく理解できます。
まずお悩みの解決に向かう前に、あなたが自分を責め続けてしまうことについて考えてみましょう。
“赦し(ゆるし)”が難しいこともある
自分を責めてしまう背景には、いくつかの心理的な要因があります。
-
責任感が強い
優しさや責任感が過去の過ちをさらに大きな出来事のようにしてしまうことがあります。他人の感情や関係性を大切に思う人ほど、自分の行動が相手に与えた影響について深く考え、後悔を強く感じる傾向があります。
-
道徳的な自己イメージ
「私は正しいことをする人でありたい」という価値観を持つ人ほど、過ちを犯したときにその自己イメージとのギャップに苦しむことがあります。
時として、人は出来事そのものよりも、それに伴う感情を強く記憶します。特に以下のような場合、過去の出来事が誇張されて記憶される傾向があります:
- 罪悪感: 自分が悪いことをしたという感情が強いほど、その出来事を必要以上に大きく、ネガティブに思い出してしまいます
- 共感力: 他人の痛みや不快感を感じ取る力が強い人ほど、自分が起こした負の影響を過大評価しやすくなります
-
未解決の後悔
誤解が解けなかったり、相手に直接謝罪できない状況では、後悔が解消されず、もやもやした感情が心の中に残り続けることがあります。後悔の感情は時間とともに消えていくこともありますが、後悔の度合いによってはずっと消えず、時にはさらに大きくなっていったりすることもあります。
-
赦しの困難さ
特に責任感が強い人は、他人を許すことはできても、自分を許すことができなくなることがあります。「自分がしてしまったことに対して簡単に許してはいけない」と無意識に考えてしまう場合もあります。
自己批判が強い人は、自分に厳しい評価を下しがちです。他人の過ちには同情や客観性を持てても、自分に対しては「もっと良くできたはず」「自分の責任だ」と考えてしまい、許せなくなってしまうのです。
罪悪感と向き合い、次へ進むために
あなたが感じ背負ってきた罪悪感や自己嫌悪感は想像に難くありません。そのような複雑な感情と今後どのように向き合い、次へ進んでいけばよいのでしょうか・
1.罪悪感との向き合い方について
罪悪感は、人を良い方向に導く力を持つこともありますが、それにとらわれすぎると自己否定につながり、苦しみが深くなるばかりです。あなたが感じている罪悪感は、「友人を本当に大切に思っていた」という証であり、決して無視するべきものではありません。
しかし同時に、罪悪感は「過去の自分が犯した過ち」に由来するものであり、「未来のあなたの価値」を否定するものではありません。
「幸せになる資格があるのか」という問いは、多くの場合、過去を引きずる心から生まれるものです。ただ、過去に起きたことは取り返せない一方で、あなたがその経験から学び、未来でどう生きるかを選び取ることはできます。重要なのは、罪悪感を抱えたままではなく、それを「自分がどう成長するか」の糧に変えることです。
2.友人への謝罪について
謝罪の気持ちが強くあるとのことですが、連絡手段が絶たれている現状では、それを直接的に伝えることは難しいかもしれません。その場合、次のようなアプローチを考えてみてはいかがでしょうか。
手紙を書く
「手紙を書く」といっても、必ずしも相手に直接届けることができなくても構いません。あなたが心から謝りたい気持ちや、あの出来事から学んだこと、そして彼女への感謝を書き出してみてください。手紙は絶対に送らなくてはいけないというものではなく、書き上げる行為そのものがあなたの心を整理し、後悔に折り合いをつける一助になるかもしれません。
謝罪の気持ちを形に変える
もし彼女に直接謝罪できなくても、「あの出来事を通じて、これからは他者をより大切にする」という意識を持って生きることは、一種の謝罪の形とも言えます。過去を悔いるだけでなく、未来の行動でそれを償おうとする姿勢が、あなた自身の救いにもつながるはずです。
3.自己許容と自分を大切にすること
人は誰しも間違いを犯します。時にはその間違いが他人を深く傷つけることもありますが、それでも人としての価値を否定されるわけではありません。あなたはすでに自分の過ちを直視し、その後の人生に大きな影響を受けている。その事実だけでも、あなたが真摯に向き合おうとしている証拠です。
「幸せになる資格があるか」と悩む気持ちは理解できますが、資格という言葉で自己評価を決めつける必要はありません。むしろ、「自分が今後、他人をどう大切にするか」「どんな未来を築きたいか」に目を向けてみましょう。
4.「自分を赦す」を試みる
例えば、瞑想や日記を活用して、少しずつ自分の感情を受け入れる時間を作りましょう。「過去の自分もまた、成長過程の一部だった」と認識することが、自己許容への一歩です。
また、職場や現在の友人関係で築ける信頼や絆を大切にし、「人を傷つけない、信頼される存在になる」という意識を持つことで、過去の後悔を活かすことができるかもしれません。
過去の過ちを“枷(かせ)”ではなく“糧(かて)”にして
人を傷つけてしまった経験は、その後の人生に深い影響を与えるものです。場合によっては長い年月にわたって、その負の記憶が心に絡みついて苦しめられてしまうこともあります。
しかし、その苦しみが“枷(かせ)”になっていると、いつまでも前進できなくなってしまいます。大事なことは、過去の苦しみを“糧(かて)”に、自分自身がどう成長するかです。
あなたがこの経験を人生における重要なことと捉えていることは、それだけ他人を大切に思えたことの証左であり、決してネガティブなことだけではありません。十分に反省し消化することができたならば、過去にそのように思うことのできた自分を誇りに思うこともできるはずです。
あなたがこれから自分を許し、未来に向けて進む力を取り戻せるよう、心から願っています。
コメント